顧問 青島 靖次

牛乳容器の歴史と表示

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昭和二十年八月十五日、日本は第二次世界大戦の終局を迎え、以後アメリカ軍の駐留の下、戦後復興の響きが出てきた。
アメリカ軍の駐留とともに日本人の食生活も追々改善されて、アメリカ軍の駐留の影響が大きく作用して、良い意味でアメリカナイズされたと言えよう。
これが乳製品や飲料の容器包装分野にも現れ、アイスキャンデー、アイスクリーム、牛乳、清涼飲料などに紙製の容器包装が次々と開発されてきた。その中で、特に紙コップに関して注目が集まり、この当時紙キャップメーカーの尚山堂が昭和二十三年に紙コップを開発し、翌年末国内最初の紙コップ製造に踏み出したと言われている。

(株)尚山堂は昭和二十八年には、紙コップ製造の技術を生かし、国内最初の牛乳容器としての紙容器、紙瓶、角型紙容器、丸型紙容器を開発販売した。これ等は全てワックス防水であった。その後、紙にポリエチレンをラミネートする技術が開発され、現在の紙容器に移行するのである。

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提供 (株)尚山堂

昭和二十六年スウェーデンで四面体の「テトラパック」が開発され、世界に発表された。昭和三十一年四月、第三回国際見本市が大阪で開催され、スウェーデンの「テトラパック」容器が日本に初めて紹介された。当時の新聞には、「牛乳瓶代用紙製造機」と言う見出しで紹介され、この機械は協同乳業三鷹工場に国内で初めて納入された。
しかし紙容器が実際に日本の社会に受け入れるようになるまでには、かなりの時間がかかった。時代を先駆するはずの紙容器であったが、消費者の馴染みが薄く、瓶に親しんでいたその意識を直ちに変えるわけにはいかなかった。

当時は、外貨割当時代で「通産省へ行って割り当ててもらう」又容器用紙は北欧からの輸入で、割高でまだまだ瓶と競合するまでには至っていなかった。

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提供 日本テトラパック(株)

昭和三十二年学校給食に牛乳の供給が始まり、牛乳の消費量が増大してきた、一方東京オリンピックに備えるため新幹線、高速道路、地下鉄などの建設ラッシュが続き大都市圏への人口集中が加速的され、都市生活者の増加により欧米風朝食の普及から牛乳消費の増加という図式が定着して来た。
消費形態は家庭配達ルートが依然、主流だったものの、大都市圏を中心に牛乳の消費量が着実に増加しはじめた。

さて、今市販されているいわゆる牛乳パック、屋根型紙容器のルーツは、大正四年にさかのぼる。当時米国のジョン ヴァン ウォーマー氏によって発明された屋根型紙容器は、アメリカンペーパーボトルカンパニーを

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提供 日本紙パック(株)

経て、昭和十一年エクセロ社に譲渡され、同社がピュアパック充填機とカートンを初めて米国市場に上市した。

当時のカートンは底を糊で貼って後でワックスに浸し、トップはホッチキスで止めたもので、注ぎ口もなく開封はナイフで行っていた。その後、注ぎ口の改良、ポリエチレンの発明、法律改正などにより第二次世界大戦後欧米で普及するようになった。
日本では、昭和三十六年以降に使われ始め、昭和三十九年の東京オリンピックでの採用、スーパーマーケットの発展、学校給食への牛乳の普及などと共にひろまってきた。

日本紙パック㈱の前身十條製紙(現日本製紙)は昭和三十九年にエクセロ社と技術提携し、日本国内で屋根型紙容器の販売を開始した。相前後して昭和四十一年には、日本テトラパック㈱が屋根型紙容器(テトラ・レックス)の販売を開始した。屋根型紙容器は昭和四十三年代から牛乳容器に本格的に採用されるようになったが、高度成長のさなかにあって、日本人の生活の洋風化、牛乳販売店主体からスーパーマーケットへの流通形態の変化などにより以後牛乳容器の主流となっていった。

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提供 日本テトラパック(株)

現在、牛乳用紙容器を製造販売している会社は、 日本紙パック(株)、日本テトラパック(株)、北越パッケージ(株)、アイピーアイ(株)、東京製紙(株)、凸版印刷(株)、大日本印刷(株)、中本パックス(株)などである。

牛乳等の表示に関係する法律は、以下のとおり

昭和二十二年十二月二十四日
厚生省は「食品衛生法」を公布して、食品衛生に係わる基本法とした

昭和二十三年七月十三日
厚生省は「食品衛生法施行規則」並び告示をもって「食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準」を制定して、飲用牛乳の成分規格、牛乳の保存基準を一〇℃以下とした

昭和二十六年十二月二十七日
厚生省は「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(乳等省令)を公布して、乳及び乳製品は、他の食品とは別個の法規による規制をした。(当時は表示事項についても上記の三規則、数回の改正などがあったが、によって定められていたが昭和四十二年に消費者から「フルーツ牛乳」や「コーヒー牛乳」等は「牛乳」とまぎらわしいとの指摘があった。その結果公正取引委員会より表示改善指導があり、同委員会の指導のもと、日本で始めての表示に関する事項を定めることになった。乳業界は一般消費者の適切な商品選択に資するとともに、不当な顧客の誘引を防止し、公正な競争を確保することを目的とした、自主基準を制定しこれを公正取引委員会に提出した)

昭和四十三年五月三十日
これを受けて公正取引委員会は、公正取引委員会は「飲用乳の表示に関する公正競争規約」を認定告示した。
これは、日本に於ける最初の食品に関する表示事項について定められた「公正競争規約」であり、この規約に基づいて、乳業界は、「全国飲用牛乳公正取引協議会」を設立して飲用乳の表示について、指導徹底を行っている。
その後、牛乳類の表示は、厚生省の乳等省令と、公正競争規約に基づいて、信頼の公正マークをつけた表示事項を尊重して今日に至っている。