(公財)日本乳業技術協会 栗本 まさ子

その①食品安全委員会の設立まで
はじめに

2014年午年は、昨年末に報道された冷凍食品への農薬混入事件とともに明けました。まもなく真相は明らかになりましたが、食の安全に対する懸念を深めるできごとでした。昨年は、当初狂牛病と呼ばれたBSEに関し、日本が国際的な家畜衛生機関である国際獣疫事務局(OIE)から「無視できるリスクの国」と認められた年でした。そして、「全頭検査で安全安心」とされたと畜場における牛のBSE全頭検査も、昨年の7月から見直されました。同じ年の7月に内閣府の食品安全委員会が設立10周年を迎えました。食品安全基本法の施行から10年がたったのです。
改めて、食の安全と安心について、この間に経験したことなどを思い出すままに書かせていただきたいと思います。

BSEという病気

2001年9月10日、米国同時多発テロが世界を震撼させた日の前日、日本では最初のBSE感染牛が確認されました。はるかに多くの感染牛が確認された英国をはじめとする国々と同様に、この病気は、食品安全を守るための制度見直しのきっかけになります。
牛海綿状脳症(BSE)は、1986年に英国で確認され、1988年にOIEに報告されました。このころは牛の病気であって人に感染することはないといわれていましたが、1996年に人の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病はBSEと関連がある、すなわち、BSEが人に感染する可能性がある、とされます。プリオンと呼ばれる細菌でもウイルスでもないタンパク質が原因、感染すると神経細胞に空胞が生じて神経症状があらわれ、ふらつき、転倒し、起立不能となって死にいたる、治療法がない、という恐ろしい病気です。英国では、牛の脳は、ひき肉と混ぜてハンバーグにするなど大切に食されていましたが、原因物質であるプリオンが多く存在する危険部位として、せき髄などとともに食用が禁止されます。そして、英国で約170名報告されている変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者さんに、この禁止措置以降に生まれた方はいない、とされています。
日本には牛の脳を食べる習慣はありませんでしたが、危険部位はすべて焼却処分されることが決まります。また、と畜場で食肉処理される牛は年齢にかかわらず対象となる全頭検査が、最初の感染牛確認から一カ月後に開始され、日本の牛肉は「安全安心」と発表されます。今では様々な分野、場面で用いられているこのことばが、はじめて広く報道された瞬間だったと思っています。
それでも、この病気の予防や発生後の対応等によって食品安全を守るための行政のしくみは信頼を大きく失墜させ、大がかりな検証を経て見直しが行われることとなります。

食品安全のための新しい法律

このころ、輸入冷凍野菜からの残留農薬の検出、O157による集団食中毒の発生、遺伝子組み換えや体細胞クローンなどの新しい技術実用化の進展、分析技術の向上によりごく微量な物質でも検出できるようになったことなど、BSE以外にも食品安全にかかわる大きなできごとや新しい動きなどが続き、私たちの食生活を取りまく環境は変化していました。一方、BSE問題が先行していた欧州の国々では、食品安全を守るための制度の見直しが進み、食品の安全性確保のためには「フードチェーンアプローチ」と「リスク分析」という2つの手法が重要である、という考え方が取り入れられていました。
こうしたことを背景に、2003年、食品安全基本法が制定されます。「国民の健康の保護が最も重要である」ことを第一の基本理念とする日本で初めての食品安全のための基本法です。

フードチェーンアプローチとリスク分析

図

終わりよければすべてよし、という考えがありますが、「フードチェーンアプロ―チ」は、生産から消費までの各段階で安全性を確保しよう、かかわる人みんなで守ろう、という考え方です。Farm to Table とも、畜産の分野ではStable(厩舎)to Tableともいわれます。食品安全基本法には行政や生産、加工、販売にかかわる事業者の方々の責務とともに、消費者の役割も規定されています。不安をうったえて守ってもらおうとするだけではなく、もっと知識と理解を深め、はっきり意見を言うようにして、食品の安全性確保のために積極的な役割を果たそう、という規定、食品安全基本法第9条です。この条文を見るとある方のお顔が浮かびます。消費者庁長官の阿南久さん。早くからこのことを強くおっしゃって、行動もなさった消費者リーダーのお一人だからです。 「絶対安全」、「ゼロリスク」はない。「リスクはある」ことを前提に、科学的に評価して、この結果をもと に管理しよう、みんなで情報を共有し、意見を出し合って、という考え方(手法)が「リスク分析」です。リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションの3つの要素からなりたっています。

リスク評価を担当する食品安全委員会

リスク評価は、科学に基づいて、消費者の不安な思い、事業者のコストなどの都合、政治的な利害等に左右されることなく、客観的かつ中立公正に行わなければならない、とされました。かつて、厚生労働省や農林水産省がリスク管理とともにリスク評価も担当し、生産者や事業者の都合を重視して消費者を軽視したためにBSEのような問題を引き起こしてしまったとする検証結果を受け、厚生労働省からも農林水産省からも独立したリスク評価機関として、食品安全委員会は、食品安全基本法の施行の日、2003年7月1日に内閣府に設立されました。ところが…先日、当協会の検査技術研修会の受講者の方々に、食品安全委員会の存在や役割をご存じかどうか伺ったところ全員が否、でした。次回以降、ご紹介させていただきたいと思います。(次回へ続く)

その②リスク評価はどのように行われるか
はじめに

映画「銀の匙 Silver Spoon」が絶賛公開中です。北海道十勝の牧場ご出身の荒川弘さん(ひろむさん、3児のお母様だそうです。)の人気コミックが原作。北海道の農業高校を舞台に酪農、畜産、農業や食について広く描かれており、2011年7月の第1巻から先月の第11巻まで、私も愛読者の一人として職場の本棚に全巻愛蔵しています。この第9巻に食品の「安全」と「安心」について主人公が正しく語る場面がありますが、食品安全委員会についてはまだ紹介されていません。今後、人気コミックでも紹介されることに期待しつつ、食品安全委員会について、中心的な役割であるリスク評価からご紹介したいと思います。

委員は国会同意人事、会議は原則公開

食品安全委員会の委員は7名。微生物学(獣医師)、公衆衛生学(医師)、薬学・有機化学(薬剤師)、毒性学(獣医師)の4名の専門家が常勤委員として、食品加工・貯蔵学、食物・調理学、リスクコミュニケーションの3名の専門家が非常勤委員として、国会の衆参両議院の同意を得て、内閣総理大臣から任命されています。食品安全のために重要な役割を果たすことから、原子力規制委員会や公正取引委員会などの委員と同様に国会同意人事とされているのです。また、委員会には専門の事項を審議するための専門調査会がおかれ、全国の大学、研究機関の専門家150名以上が本務である研究や教育と掛け持ちで、リスク評価等に取り組んでおられます。
食品安全委員会はお盆の週と年末を除き毎週、今年度からは火曜日に、すべて公開で開催されています。専門調査会も、企業秘密にかかわることを除き公開で、年間100回~150回開催されます。BSEに関するリスク評価を担当するプリオン専門調査会など関心の高い案件が扱われる会合には、とても多くの傍聴者が参加されます。

「リスク」と「ハザード」

「リスク」と「ハザード」

リスク評価をご紹介する前に、「リスク」と「ハザード」について、自転車に乗っている場合にたとえてご説明します。食品安全委員会では小学生を対象にしたジュニア食品安全委員会が毎年開催されますが、その教材として制作されたお子さま向けの絵のついたパネルがありました。これによると、ブレーキの調子が悪い、道がでこぼこしている、ぶかぶかのサンダルを履いている、というような事故の原因になると考えられるような状況が「ハザード」。このような状況で自転車に乗っていて転んでしまう「確率」と、転んだ時のケガの「程度」をあらわすのが「リスク」。転んだとき入院が必要なほどの大ケガをする、けがの程度が大変大きくても、転ぶことはほとんどない、確率がとても低ければ、リスクは大きいとは言わない。一方、膝こぞうをほんの少しすりむくだけ、けがの程度がごく軽くても、しょっちゅう転ぶ、転ぶ確率がとても高ければ、リスクは小さいとは言わない、というものです。食品におきかえると、BSEの病原体であるプリオンや食中毒の原因菌O157、残留農薬などがハザードです。BSEが人に感染したものとされる変異型クロイツフェルト・ヤコブ病は治療法のない恐ろしい病気で、健康被害の程度は大変大きいですが、この病気にかかる確率が非常に小さい状況ならば、リスクは極めて小さい、とか、無視できる程度、とされます。

リスク評価の実際(農薬の例)

昨年7月に設立10周年を迎えた食品安全委員会では1500件を超えるリスク評価が行われ、その大半を農薬や動物用医薬品が占めています。農薬のリスク評価は、通常、リスク管理機関である厚生労働省からの要請によって行われます。評価要請(諮問)の際、リスク評価に必要な試験資料等も併せて提出されます。農薬ごとに要求される多くの動物実験の成績等をまとめた膨大な試験資料は、両面印刷した綴りが両手をいっぱいに広げても抱えきれないほどの量になることがあります。
農薬のリスク評価は、ハザードについて化学的、生物学的性状や動物実験による有害作用を確認し、動物実験の結果から無毒性量(与え続けても有害作用が何も出ない量)を調べ、安全係数で除してADI(Acceptable Daily Intake一日摂取許容量=人が毎日一生涯にわたって摂取し続けても健康に悪影響がないと判断される量)を決める、という手順で行われています。
無毒性量を決めるための動物実験には、たくさんのラット、マウス、イヌ、ウサギなどの動物が供されます。ラットやマウスの一生涯にあたる期間、農薬をいろいろな濃度で混ぜた餌を毎日与え続け、臨床症状の観察、尿・血液などの検査を実施し、さらに解剖して詳しく健康状態を検査して、全く健康に影響が出ない量を確認します(反復投与毒性試験)。この試験は慢性毒性試験ともいわれ、イヌの試験も行われます。妊娠した母動物に、胎児の主要な器官形成期に農薬を混ぜた餌を毎日与え続け、おなかの赤ちゃんへの影響を確認する試験(発生毒性試験)は、催奇形性試験ともいわれ、ラットのほかウサギでも行われます。かつて、奇形児が生まれるという深刻な薬害事件を惹き起こした「夢の睡眠薬」サリドマイドの催奇形性試験で、ラットの試験では何も問題がありませんでしたが、ウサギの試験では懸念があったことによるもの、と聞いています。
繁殖機能への影響を確認する試験も行われます。幼い動物に農薬を混ぜた餌を毎日与え続け、成長して交尾をし、妊娠してやがて子どもを産み、その子どもたちにお乳を与えて無事に育てるかを観察、検査し、さらにその子どもたちにも農薬を混ぜた餌を毎日与え続け、成長して交尾をし、妊娠して子どもを産み、その子どもたちにお乳を与えて無事に育てるかを確認する試験、生殖毒性試験です。子と孫の世代まで繁殖機能への影響を確認するので、二世代繁殖毒性試験ともいわれます。このほか、腫瘍を発生させたり発生を促進することがないかを確認する発がん性試験なども行われます。
このように多くの動物による試験が行われ、それぞれの試験で、有害な影響が認められなかった量(無毒性量、NOAEL,No Observed Adverse Effect Level)が慎重に確認されます。でも、これらはいずれも動物への影響であって、ヒトへの影響を確認したものではありません。そのため、安全係数として、動物とヒトとの違い、種差として10、さらに同じヒトでも赤ちゃんやお年寄り、体の丈夫な方も弱い方もおられるので個人差として10、これらを掛け合わせた100が用いられます。実験動物たちと私たちヒトを比べた時、実はヒトは強いんだ、と私はかつて毒性学の専門家だった恩師から習いましたが、安全係数は、ヒトの方が弱い、という考え方です。

ハザードくん

それぞれの試験の無毒性量のうち、最も小さい値を選び、安全係数で除してADIが決められます。ハザードくん中国製の冷凍餃子や事故米から検出されたメタミドホスという農薬の場合、ADIは0.0006mg/kg体重/日。体重60kgの私の場合、毎日0.0036mgまでなら一生涯食べ続けても大丈夫、ということになります。 農薬以外のリスク評価やリスク評価結果の通知(答申)を受けてどのようにリスク管理が行われるかについて、次回ご紹介したいと思います。

その③ リスク評価とリスク管理とリスクコミュニケーション

残暑お見舞い申し上げます

残暑お見舞い申し上げます。オランダ原産で冷涼地では高い能力を発揮するが暑さに弱い、と紹介されるホルスタインの牛たちに、とりわけ申し上げたい厳しい夏です。立秋を過ぎてやや日差しが和らいだ気もしますが、なお暑い日が続き、熱中症予防のために十分な水分補給に加え適切な冷房を!と繰り返し報道されています。

3年前の夏…リスク評価

冷房も照明もぎりぎりまで控えた食品安全委員会では、食品中に含まれる放射性物質のリスク評価が進められていました。福島第一原子力発電所の事故に伴う食品の放射性物質による汚染が懸念され、平成23年3月17日、食品衛生法に基づく暫定規制値が定められました。厚生労働省によって緊急的なリスク管理措置が講じられたのです。前回ご紹介したように食品安全基本法は、リスク管理措置はリスク評価の結果を受けて決めるよう定めていますが、緊急の場合にはこの関係が逆になることを認めています。そのため、3月20日に厚生労働大臣から食品安全委員会にリスク評価要請がなされ、暫定規制値の考え方が十分な安全性を見込んだものであることをまず確認した「食品中の放射性物質に関する緊急取りまとめ」を3月29日に終えた後、引き続き詳細なリスク評価が進められていたものです。
リスク評価には評価のための信頼性の高い十分な資料が必要で、これらは評価要請者が準備することとされています。ところが、放射性物質に関するリスク評価の場合は、緊急事態であったために評価の要請だけがなされました。評価のための資料は食品安全委員会が自ら準備しなければなりませんでした。放射性物質による健康影響に関する国内外の文献等が大至急可能な限り収集され、約3300文献総ペー ジ数30000超について内容の確認、検討が行われ、信頼性の高いもののみが選択され、精査され、評価結果を導き出すという膨大な作業が行われました。“食品中の”放射性物質による健康影響、内部被ばくに関するものはほとんど存在せず、信頼性が高いとされたのは広島・長崎の原爆被爆者を対象とした疫学データ、外部被ばくによる影響を中心にみたものであり、これらを“食品”健康影響評価に用いることについては相当慎重な検討がなされました。食品安全委員会の委員、専門調査会の委員に加え、20名を超える放射性物質の健康影響の専門家等による審議が重ねられ、1カ月間の意見・情報の募集によって寄せられた3000通を超える意見等の精査も経て、平成23年10月27日に評価結果が厚生労働大臣に伝えられました。220ページを超える評価書は食品安全委員会のホームページでご覧いただくことができますが、「食品からの追加的な(自然放射線や医療被曝を除いた)生涯における累積の実効線量がおおよそ100ミリシーベルト以上で健康への影響が見出される。」とされました。

リスク管理とリスクコミュニケーション

この「生涯100ミリシーベルト」という値が閾値なのか(100ミリシーベルト未満なら健康への影響はないといえるのか)については、閾値ではなく、リスク管理機関が適切なリスク管理を行うために考慮すべき値である、と説明されました。100ミリシーベルトより低いレベルでは、タバコ、大気汚染物質、偏った食生活や運動不足といった放射線以外の様々な要因による健康影響と明確に区別ができないことなどがその理由でした。この評価結果を受け、厚生労働省が国際的な対応も考慮して暫定規制値を見直し、平成24年4月から現在の基準値とされました。リスク評価の考え方や結果については、詳細な説明や質疑応答が数多くの場で繰り返されました。
このとき、食品安全委員会の事務局では、リスク評価担当と広報担当の課長補佐はいずれも子育て真っ最中(一人は育児休業が明けたばかり)のお母さんでした。家族の理解や援助を受け、幼児同伴で、休日も夜間もなく、自らの、また子育て仲間のママさんたちの不安を払拭できるよう、わかりやすい資料、たくさんのQ&Aが作成され、公開されました。これらの資料を携えて、全国各地で開かれる意見交換会等にも積極的に参加し、リスクコミュニケーションの充実が図られました。そして、実際の食事の調査でも放射性物質の摂取量は極めて低いレベルに抑えられていることが確認されています。

閾値があるものとないものと…

前回ご紹介した農薬のようにリスク評価によってADIが決められる(閾値がある)ものは、「これ以下の量なら生涯にわたって毎日食べ続けても健康に影響はありません」という明快な説明ができます。そして、ADI(実際はさらにその8割)を超えることのないように私たちの食事内容や量を考慮して、作物ごとに食品衛生法に基づく残留基準値が決められ、輸入品についてもこの基準値が適用されます。厚生労働省によるリスク管理措置です。そして、残留基準値を超えるような作物が生産されることのないよう、生産の現場では使用できる時期や量等の基準が、農薬については農薬取締法、動物用医薬品については薬事法に基づいて、作物や家畜の種類ごとに義務付けられています。農林水産省によるリスク管理措置です。
一方、放射性物質のように閾値が決められないものは、十分に安全側に立ってリスク管理措置が講じられるのに、なんとなくわかりにくさが付きまといます。遺伝子組み換え食品・飼料もその一つです。これらのリスク評価は従来の品種改良によって育てられた品種との比較によって行われます。遺伝子を組み換えたことによって予期せぬたんぱく質が産生されることはないか、それが有害だったり、アレルギーを誘発したりすることがないか等を、食経験が豊富な従来の品種と詳細に比較することにより、ヒトの健康を損なうおそれがないかどうかが慎重に判断されます。こうして安全であることが確認され、食品として厚生労働省が認めているものが291種(平成26年7月現在)、飼料として農林水産省が認めているものが72種(平成25年10月現在)あります。油はヒトが、搾りかすは家畜が食べる、という関係で大豆やなたねなど多くのものは共通しており、リスク評価も同時に進められます。平成20年に行われた体細胞クローン牛・豚のリスク評価も同じ様に、従来の繁殖技術によって育種改良された牛・豚との科学的な比較が行われ、同等の安全性を有する、とされました。食品安全委員会によって科学的には安全であることが確認されたのです。そして、このときも、意見交換会等が繰り返し開かれ、説明資料やQ&Aが作成され、リスクコミュニケーションが積極的に行われました。

その後・・・

現在にいたるまで、体細胞クローン牛の肉も体細胞クローン豚の肉も流通していません。

最終回は、食の安全と安心について、触れてみたいと思います。

その④ 安全はSafety 安心は?

天高く馬肥ゆる秋。収穫の季節は食やたべものへの関心が高まります。この秋も、食をテーマにした催しものが開かれています。日本酪農科学会のシンポジウムは「食品安全を考える―乳・乳製品を中心に―」がテーマでした。日本乳容器・機器協会主催のオープンセミナーも「食の安全について検討する」がテーマで、食の安全・安心財団理事長唐木英明先生らのご講演が楽しみです。

安全ならば安心できますか?

前号の終わりに、体細胞クローン家畜のリスク評価の結果をご紹介しました。食品安全委員会の評価書には、「体細胞クローン牛及び豚並びにそれらの後代(子孫)に由来する食品は、従来の繁殖技術による牛及び豚に由来する食品と比較して、同等の安全性を有すると考えられる。」と記述されています。この評価書は説明資料、Q&Aとともに食品安全委員会のHPからご覧いただけます。
このリスク評価結果を受けたリスク管理機関である厚生労働省は、リスク管理措置を講じていません。厚生労働省が所管する食品衛生法は、食品の安全性の確保を通じて国民の健康を保護することを目的とする法律ですから、普通の牛や豚の肉と安全性は同等とされた体細胞クローン牛・豚の肉は流通を規制する必要がないと考えられています。一方、この技術開発を進めてきた農林水産省は、商業利用を実現するにはさらに生産率を上げる研究を続ける必要があるとして研究機関へ出荷自粛を要請し、併せて、国民の理解を得られるよう情報提供や説明を続けることとしています。そのため、体細胞クローン牛・豚の肉は、今も流通していないのです。
このリスク評価結果について繰り返し行われたリスクコミュニケーション、意見交換会では、多くの参加者が、「安全だという説明はわかった。でも、クローンて何となく気持ちが悪くていやだ。安心はできない。」という感想をお持ちだったのです。
私たちは、頭ではわかったつもりでも、「なんとなくいやだ」という気持ちを払拭できないことがあります。「安全」は科学であり客観であるのに対し、「安心」は一人ひとりの思いであり主観だからです。

安心=安全+α

残暑お見舞い申し上げます

安全ならばみんなが安心できる、安全=安心であれば、世の中はずいぶんわかりやすくて合理的になると思われますが、そうではありません。安心につなげるには+αが必要で、それは一般に「信頼」であるとされています。食べものの場合、だれが、どこで、どのように、どんな思いで作ったものか、といった十分な情報があれば「信頼」に、そして「安心」につながりやすいと考えています。
かつて、日本よりはるかに多くのBSE感染牛が確認され、BSEが人に感染したとされる変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者さんが約170名もおられた英国で、日本よりも早く牛肉の安全性に対する不安が解消され牛肉の消費が回復した理由をたずねたことがありました。国民の多くは親戚や友人に牛飼いがいて、牛が好きで、牛飼いの苦労もよく知っているからだろう、との英国獣医官の回答が、強く印象に残っています。
この春、学校給食牛乳の風味異常が指摘される事例がありました。工場では出荷等を中止し、食品衛生上の問題がなかったか丹念な調査が行われましたが何も問題は見出されず、春になって青草をたくさん食べた牛の乳が風味を変えたのではないか、と考えられているようです。牛乳は、工業製品とは違って、季節や飼料等によって成分や風味が変わり、いつも同じ、ではありません。こんな情報が、牛乳と一緒に学校に届けられていたならば、安全性に問題のないたくさんの牛乳を廃棄するという残念な事態は避けられたかもしれないと思うのです。

食の「安心」のための3つの要素

「食料の安定供給」、「食の安全」、「食の防衛」の3つで、食の3要素ともいわれます。1つめの「食料の安定供給」が基本です。食料生産の現場は、多くの場合自然が相手。虫、細菌、カビ、雑草などの対策は農薬や添加物などの利用によって改善されましたが、気候の変化等による新たな影響も懸念されています。収穫真際に台風に襲われたり、いのししや猿たち食べられてしまうこともあります。鳥インフルエンザや口蹄疫など感染力の強い家畜伝染病は、最大限の防疫措置を講じてもなお発生の可能性はあり、他の農場で発生した病気のまん延防止のために殺処分や出荷停止を余儀なくされることもあります。生産者のこうした事情やご苦労や不安を、もっと発信していただくこと、それを消費者の方々はしっかり受け止めて、いろいろ知っておいていただくことが大切だと考えます。39%しかない食料自給率を少しでも向上させるために、日本の生産者が安心して生産を続けられる環境づくりが必要であり、その根底に消費者の深い理解が必須だと思うのです。
2つめは「食の安全」。これまでご説明してきた食の安全を守るためのしくみは、食品衛生法や農薬取締法等に違反者への罰則はあるものの、基本的には性善説の立場であるとされてきました。導入が進められているHACCP や農場HACCP も同様です。ところが、昨年暮れに国内の食品工場で農薬混入事件が発生したことからクローズアップされた3つめの「食の防衛(食品防御:フードディフェンス)」は性悪説に立って対策を講じるべきとされています。それでも、「食品への意図的な毒物の混入の未然防止に関する検討会報告書(平成26年6月農林水産省)」では、監視カメラの設置等の設備投資や危機管理体制の整備などの取り組みが重要とされる一方で、日常の業務を通じた関係者の信頼関係の大切さも指摘されています。そして、消費者には、自らもフードチェーンの構成員であることを自覚し、リコール情報などに注意するほか、異臭や異味、外装の異常などに気付いた場合は食べないことなどを再認識するよう期待する、とされています。食品安全基本法の、かかわる人みんなで守ろう!の考え方です。

おわりに…

今からちょうど13年前の10月、BSE対策である全頭検査の開始を知らせる農林水産大臣の記者会見で、初めて使われた「安全安心」は、今では各分野で広く用いられるようになりました。食の分野では、「安全」と「安心」は違うのだから、4字熟語のように使うのは適切でないと言われるようになって、「安全・安心」あるいは「安全と安心」という言いかたが一般的になりました。英語に翻訳する場合、「安全」はSafetyですが、「安心」にぴったり合う英語はないといわれていました。
平成21年に消費者が主役となる社会の実現を目指して消費者庁が創設され、海外のプレスに消費者庁のキーワード「国民の安全・安心」が紹介された折り、「安心」はPeace of Mind と訳されていました。「安全」との違いを際立たせるとても良い訳だと感じました。おわりにあたり、Peace of Mindをご紹介します。
いつまでも安心して食べ続け、健康にお過ごしいただきますように。(おわり)

ご好評を頂いた「改めて・・・食の安全と安心について」は本号で終了致します。栗本理事ありがとうございました。次回からは新たな連載が開始される予定です。ご期待下さい。(事務局) 栗本まさ子